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「ミュシャ展 プラハからパリへ」浜松市美術館

"ミュシャ財団秘蔵「ミュシャ展」プラハからパリへ
 華麗なるアール・ヌーヴォーの誕生"

このタイトルを見て「ああミュシャなら見た見たもう良いよ」と思う人はちょっと待ってほしい。

アール・ヌーヴォーのスーパー・スターとしてのアルフォンス・ミュシャはもう広く知られていると思うので説明不要であろうと思う。1895年、大女優サラ・ベルナールの演劇のポスター制作によって一夜にして時代の寵児となり、絵画のほかインテリア・宝飾品のデザインなどに大きな影響を与えた偉大なひと。美しい女性と華やかな装飾が織りなすこれぞ「アール・ヌーヴォー」な世界は、広く多くの人々に親しまれている。また計算された構図やモチーフのポスター作品は、デザインを学ぶものにとっていまでも優れた古典であり続けている。以上、終わり。

..ってだから、ちょっと待てっつーの。

ミュシャの生涯と作品はアール・ヌーヴォーの時代とともに殉じたわけではない。アール・ヌーヴォーの旗手として活躍したパリを去り、祖国チェコの自由・独立とスラヴ民族の文化の継承・発展に尽力したもうひとりのアルフォンス・マリア・ムハ(「ミュシャ」はフランス語読み)のことはこれまで余り正当に語られてこなかった。

1900年、ミュシャはパリ万国博覧会のボスニア=ヘルツェゴヴィナ館の装飾とオーストリア=ハンガリー帝国の博覧会ポスターおよびカタログ表紙のデザインで高い評価を受ける。同じ年、サラ・ベルナールとの契約が終了。アール・ヌーヴォーの体現者としてのミュシャは、この時点で公私共に絶頂を迎えるとともに、すでに新たな人生を歩み出していた。

さまざまな伏線が絡み合ってミュシャ晩年の信念を作り上げて行くのではあるが...のちに20数年をかけて完成させることになる超大作「スラヴ叙事詩」の構想に、前述の万国博覧会の仕事のためのバルカン半島への取材旅行で感じたスラヴ民族の現実や、1908年にボストンで聴いて深い感銘を受けたスメタナの「我が祖国』からの影響などを通して、それは熟成されて行く。チェコで文化的ナショナリズムの先陣を切った作曲家スメタナ(1824-1884)の有名な「モルダウ」を含む交響詩『わが祖国』は、チェコの第二の国家ともいわれて親しまれている名曲である。そんなこんなで、16世紀以降オーストリアのハプスブルク家(神聖ローマ帝国)の支配下で、民族的な独自性を失いつつあったスラヴ民族の眠っていたアイデンティティーの再興の情熱に、ミュシャは火をつけて行ったようだ。

そしてついに実現した新生チェコスロヴァキア共和国の独立に際して、ミュシャはほとんど無償で新しい国章や最初の切手のデザインをし、のちには紙幣のデザインも手がけている。実際に採用されたものと同じものかどうかは知らないが、ミュシャは独立の前から未来の共和国の誕生を信じ、国章や切手のデザインを準備していたという。精神的な意味と実際的な意味でミュシャは晩年の30年間を祖国に捧げたわけではあるが、作家としての彼は「アール・ヌーヴォー」という過去の時代を代表する存在とされ、祖国に捧げた彼の思いと尽力も正しく認識・評価されてきたとは言い得ないものだった。

独立は果たしたものの、再びナチス・ドイツの台頭により危うい立場になって行くチェコを憂えてさまざまな活動をしていたミュシャは、1939年ドイツがチェコスロヴァキアに侵攻した際、ゲシュタポ(ナチス・ドイツの特殊警察のような組織)に逮捕され尋問を受ける。のち開放されるものの、この苦しい体験から当時80歳近かったミュシャは健康を損ない、7月14日、プラハにて没する。

1点が6×8m・全20点の連作である超大作「スラヴ叙事詩」は、完成までに長い年月を要したミュシャ最大にして入魂の作だが、皮肉にも完成時には既に独立を果たしていた祖国では、題材がもはや時代遅れであり、大作主義の悪しき伝統を引きずった作品、という評価に甘んじざるを得なかった。

規模が規模だけにこの大作は国外に持ち出せる作品ではないことも確かだが、今回かろうじて浜松にきている習作や資料類も、いままで日本でちゃんと紹介されたことは少なかったのではないだろうか。ミュシャは「アール・ヌーヴォー最高の作家である」と言う、普通で考えれば輝かしい栄光ゆえに、一面的で偏った評価の烙印を押されてきたのだ。外国での再評価が高まり、祖国でもプラハ時代の作品が正当に評価され出したのは1960年代頃からであったという。

そういったナショナリスト、汎スラヴ主義者としての側面が評価されるようになってきただけでなく、近年、ミュシャがフリーメーソンに共鳴し、そのチェコ支部の設立に大きくかかわるとともに、作品も象徴主義やオカルティズム(神秘主義思想)から大きな影響を受けていることも研究され始めているということである。

「アール・ヌーヴォー」(新しい芸術、の意)とは皮肉な言葉だ。ミュシャは自分を「アール・ヌーヴォー」のスターとして言われることに対してどう思うかという質問に、こう答えているという。

「芸術が新しいということはあり得ない。なぜなら芸術とは永遠のものだから」

ミュシャは題材や技法や表現形態が年代的に「新しい」とか「古い」とかいうことではなく、時代を超えて優れたクラシックになり得る作品こそが、ほんとうの芸術なのだと言いたいのだろう。

アルフォンス・マリア・ムハそのひとが、そのほんものの芸術を創り得た類いまれなるひとの1人であることは、言うまでもない。

参考文献:"ミュシャ財団秘蔵「ミュシャ展」プラハからパリへ 華麗なるアール・ヌーヴォーの誕生"カタログ 解説(成城大学教授・千足伸行)および年譜 ほか
by celtcelt | 2005-07-10 20:41 | 展覧会情報

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